組織名 | アルゼンチン労働総同盟 | ||||
---|---|---|---|---|---|
Confederacion General del Trabajo de la Republica Argentina (CGT-RA) | |||||
住所 | Azopardo 802 Código Postal 1107 Buenos Aires Argentina |
||||
電話番号 | +541143437909 | ||||
FAX番号 | +541143431883 | ||||
メールアドレス | pujadasm@uocra.org | ||||
ホームページ | https://www.cgtrainternacional.com.ar/ | ||||
役員名 | 事務局長:三頭体制 Hector Daer, Carios Acuna, Juan C.Schmid | ||||
組合員数 | 約600万人 | ||||
執行委員数 | 35人(女性:2人) | ||||
加盟組織 | 230 組織 | ||||
地方組織数 | 50組織 | ||||
主要加盟産別業種 | ①建設, ②トラック運転手, ③金属, ④商業, ⑤エネルギー | ||||
加盟国際組織 | ・国際労働組合総連合(ITUC) ・ITUC米州地域組織(TUCA) |
||||
大会情報 | 年に1回開催
前回:2020年 |
||||
主要課題・活動方針 | 1。ディーセントワーク 2.チャイルドレイバーと強制労働の撤廃 3.労働の安全衛生 4.職業訓練 5.雇用政策 |
||||
略史 | 1930年 アルゼンチン労働総同盟(CGT)結成。 1940年代後半:ファン・ペロン(43年労働・社会保障大臣、46年~55年 大統領)政権を支える最大勢力として政治の中心に。1955年:クーデターにより、ペロン政権崩壊。軍事政権により、CGTは解散させられ、地下活動へ。1961年:公式に活動を再開。 1960年代CGT内部、軍事政権との関係をめぐり分裂状態に。1973年:民主移管により、ペロン大統領復活。1974年:ペロン死去により、夫人が政権を引き継ぐ。経済情勢悪化の中で、ペロン政権との関係も悪化。1975年:政府の賃金抑制政策に反対してゼネスト 1975年 旧ICFTUに加盟 1976年:クーデターにより、軍政へ。 1979年 労組法改正により、労組の政治活動禁止。CGT事実上解散 1983年 急進党政権成立により、民主移管。CGT活動再開。 1989年 CGTが支持するペロン党(正義党)のメネム政権成立。 1989年~90年 メネム政権の小さな政府、民営化政策に対する考えの違いから、CGTが3つに分裂。 1992年 健康保険制度の運営を労組から政府に移すという改革に対抗して、CGT3派再統一し、ゼネスト(CGT幹部には親ペロン党が少なくなく、反政府勢力になりきれず) 2010年 CGTはアルゼンチンを最も代表するナショナルセンターとして、各種の三者協議会に参加し、また市町村レベル、州レベル、全国レベル、国際レベルで活動を行っている。 |
||||
同国の主な進出日系企業 |
|
||||
同国の日系企業拠点数 | 100(外務省「海外在留邦人数調査統計」日系企業拠点数 2017年10月1日) | ||||
JILAFとの関係 | (1)最近の招聘者実績
2022年(1人)2021年(1人)、2018(1人)、2016年(1人)、2014年(2人)、2011年(1人)2010年(2人) (2)最近の現地支援プロジェクト |
||||
備考 | 人口 :4109万人 首都: ブエノルアイレス 言語:スペイン語 |
参考
アルゼンチン共和国のILO条約批准 | |||
---|---|---|---|
[1]批准条約総数 | 82条約 | ||
[2]中核的労働基準 | 結社の自由及び団体交渉 | 第87号 | 第98号 |
強制労働の禁止 | 第29号 | 第105号 | |
児童労働の実効的な廃止 | 第138号 | 第182号 | |
雇用及び職業における差別の排除 | 第100号 | 第111号 | |
安全で健康的な労働環境 | 第155号 | 第187号 |
(が批准済)