バックナンバー

No.614(2020/12/21)
経済政策として、減税でなく賃上げについて論議しよう

 11月28日のニューヨーク・タイムズは「経済成長のカギとして減税政策ではなく賃上げに目を向ける必要性」を社説として主張した。注目すべきその内容は以下のとおりである。

 過去数十年、共和党は経済成長の柱として減税政策を主張してきた。効果がなかなか上がらない中でも、国民は減税を好み、経済成長を好むがゆえに減税政策への人気は高い。減税崇拝への批判は強いが、代案を欠くのが現実である。

 他方、民主党は経済成長に取り残された人々の救済、経済成長が齎す問題、経済成長では解決できない問題について語ることが多いが、経済成長促進を語るときには、若干の手直しを加えるだけで共和党とは余り差異の無い主張をしてきた。
 こうした現状は民主党だけの問題でなく、米国全体の経済問題でもある。米国は経済成長増進へのより良い政策、国民の支持を集めうる、より良い公共政策を必要としている。

 その点で、過去の苦い教訓と最近の調査から明確になってきた代案が賃上げ政策である。
 バイデン政権の経済政策の主要な柱は米国労働者の賃金を上昇させることでなければならない。四半期ごとのGDP成長率ではなく、労働者の賃金上昇に注目する経済運営をすべきである。

 ここで言う賃上げ政策は従来の公平や機会均等、家族を養える賃上げといったものではない。論議すべきは息切れしがちだった経済成長に活力を与えるための賃上げ政策である。
 この説明には、1914年にT型フォード生産に携わった労働者に1日$5の賃金を約束したヘンリー・フォードの話が最適である。彼は生産を高めるために良質の労働者を確保しようとして高賃金を約束したのだが、予期せぬ出来事が起きた。その後フォード労働者がフォードの顧客になったのである。

 同じことが現在でも言える。消費は米国経済を刺激し、高賃金の労働者の支出は多い。しかし、富める者は収入の一部しか消費せず、余った金を貧しい者に貸すが、全体として支出は少なく、消費も少ない。
 過去数十年、主流の経済学者たちは「報酬のレベルは市場の力の誤りない判断を反映するものであり、これを無視して持続的に賃上げさせることは不可能だ」と主張し、G・ブッシュ政権下のスノー財務長官も「労働者は企業に貢献するその価値に応じて賃金を支払われる」とコメントしていた。

 従来の考え方は、生産性の向上だけが唯一、賃上げを可能にするというものであったが、その見解のもとでは交渉や賃上げ要求は非生産的ということになる。「最低賃金法は賃金枠が限られている中では失業率を高めるだけだ。誰かが賃上げすれば、誰かが失う。団体交渉も同様に他人の誰かからの金を奪うだけだ」と嘲笑された。

 こうして世界的に一般的となった議論が「減税政策が繁栄を呼ぶ。富める者が投資を行い、生産性を上昇させ、そして賃金が上がる」とするものであった。しかし、現実の世界はもう少し複雑だ。賃金は使用者と労働者の間の綱引きで決まり、使用者側が勝利してきた。
 それを証明するのが1970年以降の生産性の上昇と賃上げの乖離であり、生産性の倍増に対して賃金上昇ははるかに遅れたのである。
 しかし経済学者が完全に誤りだと言うのではない。生産性は確実に賃金の決定要因である。飲食業などでは顧客からの集金以上に従業員に賃金を支払うことはできない。経済学者が結果的に誤ったのは、富める者と貧しき者が持つ力に大きな差があったことである。

 以上、賃上げの提案と問題点を指摘してきたが、ここで重要なのは、この提案を議論する余地を持つこと、その上で実行可能性に強い確信を持って課題に取り組むこと、そして多くの人々に支持を広げること、ということになる。

 実際面では、経済の力の変換を起こす公共政策の具体的転換の第一歩として、賃上げの価値を訴える必要があり、これが連邦最低賃金引き上げへの支持にも繋がる。この点ではアーカンソー州、フロリダ州、ミズーリ州などの保守的な州でも州別最低賃金引き上げに賛成の住民投票が進んでいる。

 しかし経済政策上、賃上げだけが目標ではない。最低水準のクオリティ・ライフを確保する強いセーフティ・ネットの重要性、とりわけ環境保護などの必須要件とのバランスを取った経済成長が必要であり、同時に積年の人種差別やその他の社会問題を是正する力がないことも知るべきである。

 方針を賃上げに焦点を当てることは一般公共政策実施への世論形成を容易にし、減税の魔力に麻痺した者への解毒剤にもなる。政府の公共政策、賃上げ努力にも力の限界がある。民間部門でもフォード自動車のような経営能力を駆使出来れば、賃上げが公共の利益と共に自分の利益につながる事例が見られることになろう。

 しかし、これは簡単な問題ではない。現状は、富める者が一般アメリカ人とはますます乖離して、社会の一員とは考え難くなっている。彼らの企業が外国で多額の利益を上げていることで、米国人の福祉に配慮を忘れている。また近年、米国の法律や社会規範、日常生活のパターンも全て、賃上げ抑制の方向に修正されてきた。
 しかし我々は経済政策には別の良策もあることを語ることから始めることができる。

   以上がニューヨーク・タイムズ社説の全文だが、筆者はこの注目すべき社説に関して次の3点を指摘したい。
 第1点は言うまでもなく、賃上げを従来の減税政策に変えて経済政策の柱にする提案そのものの重要性である。
 第2点はこの社説が話し合い、協議の必要性を強調していることである。現在の米国の労使間にある強い敵対関係の中で、話し合いや協議の習慣が中々根付かない。UAWによる米国フォルクスワーゲン工場組織化に際して、ドイツ労組の仲介もあり始まった折角の労使協議制も進展の声を聞かない現状にあって、このことは特に重要である。
 第3点は話し合いから生まれる新たな労使関係の姿であり、相互による尊重姿勢、そして相互信頼、それが経済格差縮小という大きな問題にもつながる期待である。
 賃上げという基本的には誰もが反対しえない方針を掲げて世論形成を試み、それを可能にする環境整備への議論推進を主張するこの社説の意義は大きい。

 日本でもこの社説の翌29日、日経新聞電子版が大手自動車製造会社労組による自民党労政局との協議開始を伝えた。この機運と相俟って、連合が協議の場を幅広く広げ、政権与党や経営者団体をも巻き込んで傘下労組を中核に、賃上げを柱とする経済成長政策に取り組み、労働運動の存在意義を示す姿を想像してみたい。

発行:公益財団法人 国際労働財団  https://www.jilaf.or.jp/
Copyright(C) JILAF All Rights Reserved.